春重ロード福岡 INFORMATION

2022.08.18

歩いて行ける、おすすめ寺社仏閣観光スポット

福岡空港からも地下鉄で5~10分と、好アクセスな「博多駅」&「天神」。その中間に位置する「春吉」は、ホテルや観光&グルメ/スポットが充実しているエリアで、「住吉神社」、「櫛田神社」といった寺社めぐりのほか、「川端商店街」、「キャナルシティ博多」で遊ぶのも大変便利です。宿場町の面影を残す「春吉」ですが、今回は、歩いて散策できる博多の歴史的な舞台の寺町通り(御供所エリア)を紹介します。

 

■東長寺
弘法大師(空海)が建立し、木造坐像としては日本最大級の福岡大仏や平成23年に完成した五重塔で有名な東長寺。祀られている大仏の台座内には、地獄から極楽へ至る道があり、途中にある「仏の輪」に触れると極楽へ行けると言われています。

 

「博多ガイドの会」では東長寺を、 毎日(午前10時~午後3時)の間に無料にてご案内しています。

※時間帯によっては不在の場合もありますので、詳しくは事前にご確認ください。

博多ガイドの会 ホームページ 

 

東長寺(写真提供:福岡市)

 

■大楠様 承天寺
日宋貿易商の謝国明は、聖一国師の熱心な支持者で私財をなげうって、承天寺の創建に尽力した人物です。謝国明が大晦日、貧しい人々にそばをふるまったことが、年越しそばの始まりと言われています。謝国明が亡くなった後、楠木を植えて祀ったことから、彼の墓所は地元の人に「大楠様」と呼ばれ親しまれています。宋での修行から帰国した聖一国師は、「水磨」と言う水車による製粉技術を持ち帰り、うどん・そばの作り方を日本に広め、茶店主人の栗波吉右衛門には酒饅頭の作り方を伝授し「御饅頭所」の看板を与えます。さらに、聖一国師と共に宋から帰国した満田弥三右衛門が持ち帰った唐織の技術が博多織の始まりとされています。また、博多の町に疫病が流行した際、弁円が木製の施餓鬼棚に乗り担がれて、疫病退散を祈祷して聖水を撒いて町中を回ったことが博多祇園山笠の起源とされています。承天寺には、本堂傍に饂飩蕎麦発祥之地碑、御饅頭所碑、満田弥三右衛門の碑が、山門の横に博多祇園山笠発祥之地の碑があります。

 

承天寺境内の饅頭発祥の碑(写真提供:福岡市)

 

■妙楽寺
元で礼部院外郎という官職についていた陳延祐という医者が元滅亡後、妙楽寺を頼って来日します。彼が調整した寿楽「透頂香」は将軍足利義満に賞美され、その秘法を子孫が代々伝え、後世には先祖の官名をとり「外郎(ういろう)」として京都や小田原で売り出して有名になり、今日ではお菓子の名として伝わっています。

 

ういろう伝来の地の石碑

 

■栄西が創建した日本最初の禅寺 – 聖福寺

東長寺からだと徒歩で5分ほどのところに聖福寺があります。東長寺は大博通に面しているのですぐに分かりますが、こちらはその一歩裏通りに面しています。こちらは栄西が創建した日本最初の禅寺ですが、修行の場であることから一般公開されていません。公開されているのは仏殿と山門のみです。広い敷地で、放生池や太鼓橋を見ながら静かな境内を散策でき建物そのものは改装などで創建当時のものは残っておらず、ほとんどが江戸時代後期のものですが、境内そのものが国の史跡とされています。周辺には塔頭寺院もあり、伝統的な寺町を構成しています。博多の喧騒から一転して静かな空間が広がっています。 ゆっくりと、落ち着いた時間を過ごすにはオススメです。 また、日本初の禅寺ということもあり、多数の重要文化財があるため、歴史好きな方にもオススメです。

 

日本初の禅寺として知られる聖福寺

 

■龍宮寺
龍宮寺は浄土宗のお寺です。開創時期は不明ですが、元はより海辺に近いところにあり、浮御堂といいました。貞応元年(1222年)に博多津で人魚が上がったため、朝廷に奏上したところ、勅使として冷泉中納言がやってきて、検分のために滞在することになりました。この時、安部大富という陰陽師が人魚出現を「国家長久の端兆」と判じたため、人魚塚を建立し手厚く埋葬し、お寺の名を龍宮寺と改め、勅使にちなんで山号を冷泉山としました。寺宝として「人魚の骨」「人魚の絵」を秘蔵し、境内には人魚の菩堤を弔う「人魚塚」があるほか、観音堂の聖観音像は伝・慈覚大師作の博多七観音のひとつです。

 

人魚伝説で知られる龍宮寺

 

 

博多区の周辺には、歩いて行ける神社仏閣がたくさん。

博多・天神エリアでは無料の定時ツアーも開催されてますので、ぜひご参加してみてはいかがでしょうか。

 

福岡市観光案内ボランティア ホームページ 

 

 

 

 

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